マリーの部屋

クオリアにまつわる哲学的思想実験の話。
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クオリアとは。
意識体験のひとつとして、感覚質と呼ばれているもの。
人間が何かに注意を向けたときに、そこに感じる独特の質感。たとえば、夕暮れの空の赤さ。心地よい疲労感など。感覚は人それぞれ。
人間の五感で物質を観察したとき、結果として得られる感覚をクオリアと呼ぶ。
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 マリーは、視覚に関する物理的事実を全て身に付けているが、マリーは白黒の部屋で生まれ育ったため色を一度も見た事がない。 初めて色を見たとき、彼女は何か新しいことを学ぶだろうか?
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 視覚神経学者マリーというキャラクターがいると仮定して、彼女は色のない世界に住んでいる。テレビに映るものも、室内の装飾も、すべて白黒。彼女はそんな環境に生まれ、そこで育った。だから色というものを視覚的に経験したことがない。ただし、視覚の専門家である彼女は、物質と光、網膜と視神経の間にある相関関係を知り尽くしている。赤い、青い、という言葉の意味も知識としては身についている。

 そして、そのマリーがいきなりカラーの世界に放り出されたとき、彼女はどう感じるか。マリーが色に触れる事で新しい知識を得たのなら、それまでのマリーの頭の中にあったものは不完全だったということになる。つまり色のある世界には知識を超えたクオリアが存在する事になる。

 マリーは物理的知識については、すべて学んでいた。光の波長が色の変化を作りだすということも、理屈の上で理解していた。
その彼女が視覚でじかに色彩に触れた時、驚きを感じると思う?それとも、当然のことと受け流すかな?

 マリーが世界や世界を見るという経験について新しいことを学ぶのは紛れもなく明らかであると思われる。そうであれば、彼女の以前の知識は不完全だったと言わざるをえない。しかしマリーは全ての物理情報を持っていたのである。それゆえ、全ての物理情報で事足りることはなく、物理主義は誤っているのである。