1.ムー文明の概要

 ムー大陸が太平洋に消えたのは、約1万2千年前ごろで、その時までに少なくとも人類の歴史は十万年続いていた。
 ムー帝国の聖典『聖なる霊感の書』は、教義の部と科学の部に分かれていて、この二つの部分は互いに裏付け合い補完し合っている。宗教と科学はしっかりと組み合わさって切り離せないものであり、科学なしには、完全な宗教はありえない。なぜなら、科学は自然を解明する物であり、自然とは創造主(自然を創造する宇宙大自然の法)の代弁者であり、神の存在を証明するものであるからである。次のような名言がある。「科学を無視した宗教は迷信に陥り、宗教を無視した科学は、悪魔を産む」
しかし、偉大な学術は、ムーの崩壊とともに、ほとんど崩壊してしまった。

 この創造主(ビッグバンから始まる宇宙の創造のこと)、全ての自然現象は一つの法則の下で輪廻している。そのため、自然を創造する宇宙大自然の法(生から死、死から生、有から無、無から有へと巡り巡る輪廻の法則)を天帝とし、その天帝が何かを創り出す為には、陰と陽の二元性が必要であり、この創造力を、陽の象徴(シンボル)として「太陽」、陰の象徴として「月」を使用した。従って、太古の文明から引き継がれた太陽や月は天体の意味ではなく、創造主の事を指している。ムー文明の神官はラ・ムーと呼ばれ、ラは太陽の意味である。

 ムー帝国の宇宙図は、中央の円を太陽の象徴とし、二個の三角形の組み合わせによりつくられる十二の空間を天国への十二の門として示されている。これらの門は、愛・希望・慈悲・純真・誠実などの十二の美徳を象徴していて、最高の美徳は愛とされていた。その外側にある二重の円に狭まれた狭い空間は、霊魂が神の門にたどりつく前に通らねばならない世界である。さらに、その外側の十二の装飾は、地上の十二の誘惑を示していて、人間はこれらの誘惑を克服しなければ、天国の門をくぐることはできない。その下にさがっているリボン状のものは、天国への道を示し、八つの部分に別れている。それは人間の行為と思考が八つの道をたどらねば、天国に行けないことを示している(八正道を指している。八個の正しい道というのは、正しい見解、正しい思い、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい理想、正しい心の統一)。此の宇宙図は、南北アメリカ大陸、インド、バビロニア、エジプトなどに、今でもその名残りを見る事ができる。


〇『創造主は一なるものを生み出した。一は二となり、二は三となり、それよりすべての人類となった。』との記述があり、中国の陰陽説の源流となっている。老子の道徳教には 『一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず』と書かれており、老子はムー文明の正当な後継者である。一方、孔子はムー文明をよく学んだ上で現天上界の後継者として儒教を残した。


 「大悪魔王(大サタン):ピラミットと目」

 ムーの宇宙図はエジプトや他の地域に伝わった後、原図には一切無かったピラミッドと目の象徴が強調されて付加され、聖なる教えが歪められた。
 シリウスの中の重たい星を、目と呼んでいたことから、大悪魔王はシリウス系だと推測される。

 「日本は、ムーの正当な後継者」

 太陽が円で表現されているものは、ムーの布教時の旗で、日本の国旗と同じものであるため、日本人は正当な後継者と見られている。

2.ムー文明と旧約聖書の天地創造の合体

 旧約聖書の天地創造は、ムーの天地創造が原型としたものとされ、ムーの天地創造、旧約聖書の天地創造とも完全ではなく、一部が欠落している。つまり、ムーの天地創造は宇宙や地球創造の部分が非常に詳しく、一方、旧約聖書では生物の進化の部分が詳しく書かれている。
 両者の天地創造を合体させたより完全な形の天地創造が以下の通りである。 

◆第一の命令(一日目 光ありき)◆

宇宙は初め霊(光、エーテル)そのものであった。形も生命も音もなく、只静まりかえっていた。あるのはただ空虚と暗黒のみであった。暗黒の底深く、至上なる霊、偉大なる力そのもの、創造主たる七頭の蛇のみが動いた。
神は宇宙を創らんと欲し、また地球を創りてその上に生命あるものを創らんと欲した。神は地球を創り、その上に万物を創った。
 地球と万物はかくして創り出された。
 創造主たる七頭の蛇は、大いなる命令を下した。
 第一の命令「形無く空間に散在するガスよ、集まりて、宇宙を創れ。」
 ガスは互いに集まり、渦巻く固まりとなった。
このスカラーの渦巻からプラズマが発生し、光が生まれる。

◆第二の命令(一日目 光ありき)◆

第二の命令「ガスは凝固して地球となれ」 ガスは固まり地球となった。地殻の外側にガスが残った。地殻の内側にもガスが包まれて残った。闇が未だ支配し、音もなく、空気も水も創られてはいなかった。

◆第三の命令(二日目 大空の創造)◆

第三の命令「外なるガスは二つに別れ、水と大気となれ」 かくしてガスは二つに分かれた。水は地表を覆い、陸地は、一つも見えなかった。水とならなかったガスは大気となった。太陽の矢は、大気の中の地球の光の矢と出会い、光が生まれた。かくして地球に光が誕生した。太陽の矢は大気の中の地球の熱の矢と出会い、それに命を与えた。かくして地球上に温かさがもたらされた。
(日光は、太陽の矢(太陽から発射されるエネルギー)が地球の大気にぶつかることで、日光として見える事を意味しており、太陽だけでは光を放射しない事を意味している。)

◆(四日目 昼と夜の創造)◆

神は、また、言われた。「天の大空に光あって昼と夜とを分け、しるしの為、季節の為、日の為、年の為になり、天の大空にあって地を照らす光となれ」。そのようになった。神は、二つの大きな光を創り、大きい光に昼を司らせ、小さい光に夜を司らせた。さらに星を造られた。

◆第四の命令(三日目 陸地の創造)◆

第四の命令「地球の内なる火よ、水面より陸地を持ち上げよ」 かくして地底の火は、水面より陸地を持ち上げた。

◆第五の命令(三日目 )◆

第五の命令「水の中に、生命生まれよ」 太陽の矢は水中の泥の地球の矢と出会い、泥の粒子より宇宙卵をつくった。これらの卵より、生命は生まれた。

◆第六の命令(三日目 植物の創造)◆

ム:第六の命令「地の上に生命生まれよ」 太陽の矢は陸地の土の中で地球の矢と出会い、土の粒子より宇宙卵を創った。これらの卵より、生命は生まれた。

神はまたいわれた、「地は、青草と種をもつ草と、種類にしたがって、種のある実を結ぶ果樹とを地の上に生えさせよ」 そのようになった。
 →小:旧約聖書では、最初に陸上に植物が生まれ、五日目に水生生物が、六日目に人類が生まれる事になっている。一方、現代科学の進化論は、ムーと同じで海の泥から生命が生まれ、海の動植物、そして陸の動植物が生まれる順番であり、旧約聖書と真っ向から違っている。(聖書の記録者が、科学文明の恩恵を受けておらず、異星人=天との交流もなかった。悪魔(サタン)・ダビデによる歪曲でしょう!! 千乃)

◆第六の命令(五日目 海水生物と鳥の創造)◆

旧:神はまたいわれた。「水は、生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天の大空を飛べ」。神は海の大いなる獣と水に群がるすべての動く生き物とを、種類に従って創造し、また翼ある全ての鳥を、種類に従って創造された。

◆第七の命令(六日目 動物と人間の創造)◆

第七の命令。これらの事がなされた後、七頭の蛇の、七番目の智恵が言った。「我等神の姿にのっとり、人間をつくり、その体内に永遠の生命、不滅の霊魂をば授けた。かくして人間は、神の如き智恵と力を得ることが出来た。」
即ち、神の形に似せて創造し、男と女を創造された。


〇ムーの文明では、木に巻き付く白蛇は人を誘惑し墜落させるものでない。木に蛇が巻き付いた象徴は、『聖なる霊感の書』に描かれており、木は、ムー大陸で、蛇は生命(DNA)を意味するとされる。

3.ムー文明の名残り

 古代エジプトでは、月を創造主の陰的(女性的)な属性の象徴とするだけでは満足できず、月の象徴としてとしてイシスという女神を考え出した。この女神がオシリス神の妻で、遺言執行者という事になる。

 創造主の象徴は、蛇として多く残されている。其の中でも特に目立つ二種類の蛇がいる。ムーで「ナーガ」と呼ばれるコブラである。この象徴は、天地創造の七つの部階、創造主の七つの命令にちなみ七つの頭を持っている。此の象徴を使用したムーの部族はナーガ族と呼ばれるようになった。

インドのナーガ帝国の文明は、アーリア人の侵入により、ナーガ系の知識人が迫害を受け、ヒマラヤの奥へと追いやられてしまう。インドの宗教界はバラモン教の僧侶により牛耳られ、ムーの教義に難解な尾ひれをつけ、奇怪な神話をでっちあげ、自分達の権威を保とうとした。そして、自分達僧侶を王族の上に立つ者として、カースト制度を作り上げた。(古代インドの宗教文献「ベーダ」には、ムーの教義についての記述がある)。
この墜落を払拭し、「聖なる霊感の書」の真髄のゴーダマが捜し求め、八正道を悟った。この八正道には、ムーの宇宙図に示されている天国への八つの道が生かされている。

 もう一つの蛇は、鱗の変わりに羽毛で覆われた蛇で、ケツアルコアトルと呼ばれた。現在でも、中南米・ユカタン半島に伝わり、インディオやマヤ聖典に伝承されているが、現代ではエジプトと同じで、其の根源は忘れ去られてしまっている。中国も同様である。

 日本神道において、天照大神は太陽神(ラーであり、日本の国旗に引き継がれたムーの紋章)であり、、ヤタカの鳥(カラス)は神の使いであり、他にも鳥居は神のいる所だとすれば、鳥=ケツアコアトルと解釈できる。ムー文明の正当な子孫である日本人と、旧約聖書のアダムから始まる家系のどこで結び付くのかが明らかになれば、神の歴史の中で日本人とは何者なのかが明確にだろう。