マヤの水晶のどくろ
1926年英領ホンジュラス(現ベリーズ)にあるマヤ文明の遺跡ルバントゥンで、イギリスの探検家フレデリック・ミッチェル・ヘジスにより発見された。
取り外し可能な下顎部分も含め、全体が一個の大きなロッククリスタルを加工研磨して解剖学的にも正確につくられている。
下から照明をあてると、水晶のどくろ全体が炎に包まれているように見えたり、文字を書いた紙の上に水晶のどくろを置けば、眼窩から真下の文字が見えるほか、頭頂部からのぞくと文字が拡大されて見える。

頭蓋骨そっくりにつくるだけなら、何世代にもわたって水晶を磨き上げていけば製造可能だが、水晶のプリズム効果まで考慮してつくる知識と技術は古代マヤには存在しない。
発見者のヘジスは、「この水晶のどくろは、アトランティスの神官階級の遺産がマヤに伝承されたのだろう」と主張した。




コロンビアの黄金のシャトル
コロンビアの黄金博物館に展示されている。
千五百年以上昔のプレ・コロンビア文化の王族のアクセサリーで、発見当初は鳥や虫などの動物をかたどったものだと言われていたが、動物学者のアイヴァン・アンダーソン博士は、これらがいかなる種類の動物とも似ていないうえに、航空機でいう機首・コックピット・主翼・胴体・水平尾翼がそろっているときづいた。
ベル・ヘリコプターの設計者として知られるアーサー・ヤングによれば、形態とバランスが航空力学の理にかなっており、急上昇と超高速飛行が可能なジェット機かロケット、またはそれ以外の未知の推進原理に基ずく飛行物体の模型だということである。




アカンバロの恐竜土偶
恐竜土偶は、巨大なは虫類をかたどった土偶や石偶である。
1945年に考古学マニアのドイツ人ヴァルデマール・ユルスルートが、メキシコのアカンパロ市郊外のブル・マウンテンで発見したのが始めで、それ以来、数千点が発見されている。
製作年代は、<熱ルミネッセンス法>で測定した結果、紀元前2500年(誤差プラスマイナス250年)とはじき出された。
一説によると、化石からの復元か、古い伝承記憶をかたどったのではないかと言われている。
メキシコと国境を接するアメリカアリゾナ州のハバスパイ渓谷の岸壁には、ティラノザウルスを描いたらしい岩絵が発見された。また、同じく、テキサス州バラクシー川流域の、干上がってしまった石灰岩質川床には、恐竜と人間の足跡が並んで、点々と記されていた。
当時の人々に化石を復元する技術があった、恐竜が現代まで生きていた、人間が恐竜時代に生きていた

 恐竜土偶の発掘は現在では不可能である。国家事業のダム建設によって、アカンバロは水底に沈んだからだ。未発掘の古代遺物にどんな危険なものがあるかわかったものではない。表向きはメキシコ政府の国家事業だが、真相はアメリカ政府からの要望と裏の圧力による証拠隠滅だろう。




アッシリアの光学レンズ
アッシリアの光学レンズは、古代アッシリアの首都ニネヴェの宮殿遺跡を発掘中に発見された水晶レンズである。
倍率は約4倍、材質はロッククリスタルでできている。これは、古代に光学機器が存在していたことを暗示する遺物といえる。
バビロニアやギリシアの神官たちが、驚くほど天文学的な知識にたけていたことは周知の事実であるが、古代にも望遠鏡のようなものがあり、星を観測する技術が確立していたと考えられる。






古代バビロニアの電池
古代バビロニアの電池は、1937年バグダッドの南西郊外、クジュトラブアの丘にある約2000年前のバルティア遺跡で発見された。
高さ15センチほどの白い粘土製小壺の中には、長さ10センチ、直径2.6センチの銅製の円筒形物体と、酸による腐食の激しい1本の鉄棒が入ってた。
第二次世界大戦後、アメリカの電気技師ウィラード・グレーと科学史家のウィリー・レイが共同で、壺のレプリカをつくり実験を行った結果、1.5ボルトから2ボルトの電気が発生することを確認した。




古代エジプトの飛行機模型
エジプトで出土した木製物品。
現代の長距離旅客機によく似ている。
古代エジプト時代に飛行機は飛んでいないはずである。




三葉虫を踏みつけた靴あと
人間のような足の形の生物に踏まれた化石が見つかった
三葉虫は5億年前に栄え、2億8000万年前に絶滅したと言われている。
三葉虫が栄えていた、数億年前の地球には、人間どころか人間に似た足の形をした生物すらいなかったはずである。




ビリ・レイスの地図
ビリ・レイスの地図は、1929年にトルコ、イスタンブールのトプカピ宮殿で発見されました。
この地図は、1513年にビリ・イブン・ハジ・メメド、通称ピリ・レイス(レイスは提督の意)によって描かれたものであった。
一見、中世の稚拙な技法で描かれたような地図は、1950年頃におこなわれた地震波探査で初めて明らかにされた氷の下の真の海岸線と内陸の地形が、細部まで正確に描かれていた。
この地図を調べたアメリカの地質学者チャールズ・ハプグッド教授は、稚拙な作図技法と思われていた中米付近の海岸線や島々のゆがみは、実は球面三角法に基づいた「正距方位図法」で制作されたことを暗示していると指摘した。
つまり、原地図を描いた人物は、地球が平面でなく球形であることを知っていたことになる。
また、この地図の左隅の解説の部分には「ギリシアのアレクサンドロス大王時代(紀元前4世紀)から伝わる20枚の地図を参考にした」と記されていた。




オロンス・フィネの地図
フランスの数学者で地理学者のオロンス・フィネが1531年に作成した世界地図である。
右側に南半球、左側に北半球を記した二重心臓型投影法によって作成されたこの地図には、南極大陸の全形が描かれている。
大きさに惑わされずにその大陸だけを注視すると、現代の地図に描かれた南極大陸と、見事に合致している。
海岸線、南極点の位置、周縁部の山岳と河川、湾内の小島の存在までが正確に描かれている。
南極大陸を正確に描いた古地図はいくつも存在する。興味深い事に古い地図ほど正確である。