地底王国シャンバラ
 世界の屋根と呼ばれるチベット高原は、北はコンロン山脈に阻まれ、その向こうにはタク ラマカン砂漠とゴビ砂漠が広がる。南は世界最高峰の険しい山々が連なるヒマラヤ山脈が 続いている。その地形が生み出す幾つもの深い峡谷は、いまなお現代文明の侵入を容易に は許さない。その様な山深い場所にあると言われている永遠の理想郷「シャンバラ」が、 人々の心を揺さぶるのは、この人跡未踏の地を多く残す地域のどこかに、その入口がある とされているからなのであろうか。シャンバラの最初の記述は、西暦1世紀の編纂と伝え られるボン教の教典の中に見ることが出来る。ボン教とは仏教がチベットに伝わる以前か ら、栄えていた民族宗教のことである。このボン教の教典に一枚の地図が含まれており、 その地図には、ペルシア、パクトリア、バビロニア、イスラエル、エジプトといった古代 国家と共に、アガルタの都シャンバラの地名が記されていたのだ。シャンバラは昔から実 在の国として信じられてきたのである。そして、このシャンバラ伝説はチベットだけでは なく、中央アジア一帯に流布していたものと思われる。

コンロン山脈に神々が住む聖地があるとする、中国の西王母伝説なども、明らかにその流 れを汲んだものなのだ。その様な伝説が言い伝えられている地下都市は、世界中にあり、 それらが地下回廊として網目のように繋がっている可能性がある。なぜその様な地下にわ ざわざ住む必要性があったのであろうかという疑問が湧いてきます。いまではその理由は 推測するしかないが、もしかして、太古に世界中でバ−ラタ戦争のような核戦争があった とする説もあり、またそれを証明する証拠も多く存在していることを考えると、まんざら 噂だけではなさそうな気がします。


シャンバラと探検家の物語

そのシャンバラ伝説に現実に光を当てたのはロシア人であった。後に熱狂的なブ−ムを巻 き起こすことになる理想郷捜しは10世紀にさかのぼる。987年、ロシア正教会の神父 セルギウスは「白い湖の国:ベロヴォディエ」を捜しにキエフから中央アジアへと旅立っ た。ベロヴォディエとはロシア伝説に出てくる国で、モンゴルの南にあるという理想郷の ことである。四方を高峰に囲まれた国で、そこにはロボンという湖があり、聖者や賢人が 住んでいると言われている。セルギウスの探検行は3年の予定だったが、彼は何年経って も帰ってこなかった。しかし、56年後の1043年、人々が彼の探検行などすっかり忘 れたころに、ひょっこりとキエフに戻ってきたのだ。セルギウスは、その探検行の一部始 終を人々に語った。それによると、中央アジアへ旅立ったセルギウスの一行は、たちまち 危難に遭遇した。過酷な自然環境が一行の行く手を阻み、熱病や高山病で死者が続出した 。恐れをなして逃亡する者も後を絶たなかった。3年目の終わりには、遂にセルギウス一 人になっていた。それでもセルギウスは諦めずに探検を続けた。

そして、ようやく塩湖の畔に辿り着いたのである。しかし、彼の体は衰弱しきっていた。 意識はもうろうとしており、せっかくベロヴォディエの入口とおぼしき所へ到達したとい うのに、彼の死はもはや目前に迫っていた。そのとき、突然どこからともなく2人の男が 現れたのだ。彼等はセルギウスを助け、体力が回復すると「聖なる国」に案内した。そこ でセルギウスは賢者達と生活を共にすることになったのである。このセルギウスの証言は 正式に記録され、ロシア正教会の神秘主義者達によって厳重に保管されてきたという。そ の探検行の記録の最後は、次の様な一文で締めくくられている。「昔から多くの者がこの 国を目指したが、実際に辿り着いた人間はごく僅かである。なぜなら、この国では各世紀 ごとに7人しか入国を許されないからだ。そのうち6人はここで得た奥義を携えて、再び 外の世界に戻らなくてはならない。だが残る一人は、この国に留まって不老不死の生活を 送るのである」。セルギウス以降、シャンバラは中央アジアの秘境の中に埋没してしまっ たかのように、その記録が途絶えてしまうのだ。

しかし19世紀後半から20世紀前半にかけて、再びシャンバラはその聖なる光を放ち始 めることになる。ロシアのヘレナ・ブラヴァツキ−夫人は、伝統的な神秘主義を革新する 新智学協会を設立したことで知られている。その思想は難解な大著「秘密教義」に展開さ れているが、その中で彼女は、自らの思想の源はチベットの奥地に住むマハトマから送ら れてくる霊的通信だと述べたのだ。また近代神秘主義の巨人と称されるロシアのゲオルギ −・グルジェフも、「注目すべき人々との出会い」の中で、中央アジアには「大いなる叡 智」を結集した聖地があると主張した。この二人の思想は、中央アジアの理想郷の存在を 人々に大いに喚起させたのである。一方、全く思いがけない方向からもシャンバラは浮上 してきたのである。それは、その頃から盛んになった、学術を目的とする中央アジア探検 隊によるものである。ボ−ランドの鉱物学者フェルディナンド・オッセンドフスキ−は、 中央アジアの探検行を著書「獣・人・神々」にまとめているが、その中で彼はシャンバラ について記している。

1920年のある日、オッセンドフスキ−一行は、モンゴルのツァガン・ルクの高原を横 断していた。すると突然、モンゴル人の案内人が「止まれ!」と叫んだ。案内人はそのま ま大地にひざまずくと、マントラを繰り返し唱えはじめた。他のモンゴル人達も同じ様に 祈っている。「一体何が起こったのだ」と、オッセンドフスキ−が聞くと、案内人は言っ た。「ラクダがおののいて耳を動かしているのがわかりませんか。空気が震えて妙なる調 べを伝えてきているのです。世界の王が地下の宮殿で全世界の人々に未来の運命を予言し ている声なのです」。しばらく耳をすましていると、オッセンドフスキ−にもその妙なる 音が聞こえてきた。この不思議な体験はオッセンドフスキ−に衝撃を与えた。世界の王が 住むという地下王国とは一体どんなところなのか。それから彼のシャンバラ探求の旅が始 まった。ラマ教の高僧やチベットの住人達から様々な証言を収集して歩いたのであった。 その一つに、ウランバ−トルから北京まで旅を共にしたトルグ−ドというラマ僧に聞いた 話がある。

「今からおよそ6万年前、一人の聖者がある部族を引き連れて地下に入り、理想の地底王 国シャンバラを築いたという。この地底王国の住民は全ての悪から守られており犯罪など はあり得ない。シャンバラの中央部には、聖者の系譜をひく世界の王が住む宮殿があり、 その外周に副王達の宮殿、更にその外周に聖者達の住む館が建ち並んでいる。彼等は地表 の人類をはるかに凌駕する超能力を備えており、もし人間が彼等に対して戦争を挑むよう なことがあれば、地球の表面を爆発させ、不毛の砂漠に変えてしまうことも出来るという 。瞬時のうちに海を陸地に、陸地を海に変えることも出来る。しかも彼等は植物と動物の 全生命活動を支配しており、老人を若返らせたり、死者さえも復活させることが出来る能 力を持っている。彼等は我々の知らない不思議な乗り物に乗り、地球内部の地下回廊を猛 スピ−ドで走り回っている」。この様な話しをしたオッセンドフスキ−だが、彼自身はこ の楽園には到達出来なかったらしい。ただ、そこに通じる洞窟に案内してもらったとは記 している。

シャンバラに到達したと思われる人物もいる。ロシアの画家であり、詩人であり哲学者の ニコライ・レ−リッヒだ。ニコライ・レ−リッヒは1925年から足かけ4年にわたって 中央アジアを探索した。その探検行によって、後にシャンバラに一番近づいた人物といわ れることになる。ニコライ・レ−リッヒの行程は、まず北西インドのスリナガルからカラ コルム山脈を越えて中央アジアに入り、ロシア領のバイカル湖に至って南下、チベット高 原を通って北東インドのシッキムに至るというものであった。その探索行において、レ− リッヒは様々な不思議体験をするのだが、彼自身はシャンバラに到達したとは語っていな い。但し、その記述からは、彼がただならぬ世界に拘わったことが読みとれる。例えば次 の様なエピソ−ドがある。ある日レ−リッヒ一行は、ヒマラヤ山中の狭い道をシッキムか ら更に奥地を目指して車で走っていた。幾つものカ−ブを曲がり車はゆっくりと進んでい く。ふと見ると前方から不思議な一団がやってくる。灰色の服を着た4人の男が駕籠をか ついでいるのだ。レ−リッヒは彼等をやり過ごすため車を止めた。

すれ違うときに何気なく駕籠の中を見た。と、そこには王冠をかぶり、まばゆいばかりに 美しい赤と黄の法衣を着た気高い僧侶が乗っていたのである。一瞬、レ−リッヒの体に電 流が走った。僧侶を一瞥しただけで、この世のものとは思えない高貴さが伝わってきたか らだ。僧侶の全身はオ−ラに包まれているかのようだった。レ−リッヒは、さぞかし名の ある高僧に違いないと思った。再びシッキムの町に帰ると、さっそくその出来事を土地の ラマ僧達に話し、出会った僧侶のことを知っているかと尋ねた。しかし、返ってきた答え は一様に信じられない、というものだった。でまかせを言って我々を担いでいるのではな いか、という者さえいた。その理由を彼等はこう説明した。「あなたの説明するような服 装は、ダライ・ラマかバンチェン・ラマのような最高位の僧にしか許されていないものな のです。それに駕籠は最高位の僧の死体を運ぶときに使われるものです。そして王冠は寺 院の中でしかかぶらないものなのですよ」。とすると、レ−リッヒが出会った高貴な僧は 、一体何者だったというのか。

困惑するレ−リッヒが、あまりに真剣な顔をしているので、今度はラマ僧達が戸惑った。 そして奇妙なことを言ったのである。「もし、それが本当なら、あなたはシャンバラから 来た僧を見たのかもしれない」。レ−リッヒは驚いたが、そうだとすれば納得がいくとも 思えた。レ−リッヒがシャンバラ捜しにのめり込んでいくのは、こうした体験が幾度とな くあったからに他ならない。前述のようにレ−リッヒ自身はシャンバラに到達したとは述 べていないが、妻のエレナの証言では、それらしき出来事はあったという。ある砂漠地帯 を探索中、どこからともなく香しい香の匂いが流れてきた。するとポ−タ−達が「ここか ら先は人間が入ってはならない禁足の地である」と騒ぎだし、前に進もうとしない。仕方 なく、その日はそこで野営することにした。その夜になって、レ−リッヒの姿が忽然と消 えてしまったのだ。一行は騒然となり、心配でまんじりともしないで夜を明かした。とこ ろが翌日の午後レ−リッヒはどこからともなく突然姿を現した。するとポ−タ−達は彼の 前にひれ伏し、こう言ったという。

「この人は神である。そうでなければ禁足の聖地シャンバラの境界を越えられるはずがな い」。レ−リッヒは、この間に起こったことを死ぬまで語ろうとはしなかった。果たして レ−リッヒは、シャンバラへ行ったのだろうか。シャンバラに関係するらしい不思議な現 象を何度も体験していることからすると、その可能性は大きいかもしれない。しかし理想 郷シャンバラとは具体的にどの様な国なのだろうか。インド密教最後の教典「時輪タント ラ」がその一端を垣間見せてくれるかも知れない。「時輪タントラ」によれば、シャンバ ラは7つの大陸に囲まれた南の中央大陸にあるという。この大陸は6つの地域に分かれ、 シャンバラはその北から2つ目に位置しているが、巨大な山脈の輪に覆い隠され、人目に 曝されることは滅多にない。巨大山脈の内側では、さらに中央部とそれを取り囲む8つの 地域に分かれ、8枚の花びらのようになっている。カラ−パと呼ばれる首都は、宝石や純 金で築かれ,まばゆいばかりだ。100年ずつシャンバラ王が統治するこの国は、あくま で平和であり、飢えや病気とも無縁だ。

人々は全て100歳以上の長寿をまっとうする。彼等の目的は悟りを得ることである。日 々の瞑想で特殊な能力を獲得する者も少なくない。シャンバラの世界は、この世の理想社 会なのである。「時輪タントラ」は釈迦の教えだが、ここでは実践する社会がシャンバラ として捉えられていると言えるだろう。ところで世界の聖人達は全てシャンバラから叡智 を授けられたという説もある。釈迦はもちろんキリスト、モハメッドなども、その叡智を 広めるために地上の世界に送られたというのだ。とすれば「時輪タントラ」が描く世界は 、シャンバラの叡智に彩られたものと言えるだろう。いずれにしても中央アジアにはシャ ンバラが、理念を越えた何ものかとして、人々の精神を刺激しつつ、脈々と息づいている 。険しい地形のどこかに隠されているその入口は、次なる訪問者を待っているはずだ。


地下王国アガルタの秘密

地球はかつて緑なす豊かな大地に恵まれ、不毛の砂漠や厚い氷に閉ざされた暗黒の世界を 持たなかった頃、我々の祖先は地上と地下を一つに結んだアガルタの宇宙都市に住み、首 都シャンバラのクリスタルが放つ大いなるエネルギ−に満たされて、今よりも遥かに快適 で高度な生活を楽しんでいた。アガルタの地下都市に住む人々は、ヴィマ−ナと呼ばれる 空挺に乗って都市の間を速やかに移動したばかりではなく、遠い彼方の星へも旅立ち、我 々よりも遥かに充実した生活を送っていた。この地球内部に網の目のように広がる地下回 廊と、それによって結ばれた巨石神殿都市からなる宇宙王国アガルタの存在は、大洪水以 後の歴史に登場するあらゆる民族の間で、これまで長い間人間が住む理想の地下の楽園、 あるいは聖なる死者の蘇る地下の世界として語り継がれてきた。今日我々は、それらの存 在をシュメ−ルやエジプト、インド、中国、ギリシャ、日本などに古くから伝わる粘土板 文書やパピルス、神話、叙事詩、伝説などで知ることが出来るが、果たしてアガルタは実 在したのだろうか。

地底世界を訪問した最も古い記録と考えられる有名な「ギルガメシュ叙事詩」によれば、 大洪水時代の王ギルガメシュは洪水がおさまると間もなく、バ−ルベック神殿やエレサレ ムのモリヤ山、シナイ半島のエル・アリシュ要塞にある地下トンネルをくぐり抜けて、彼 の父ウトナヴシュテム(ノア)が住む地底王国を訪れ、不老長寿の海草を手に入れたとい う。また、エジプトの古文書によれば、大洪水以前のファラオは、エジプトの西方にある アガルタの都シャンバラの地下トンネルを通ってスフィンクスとピラミッドの下にある秘 密の回廊を抜け、紅海の東にあるシナイ半島の地下宇宙基地に達したと言われる。さらに アルゴ1号の遠征で有名なギリシアの英雄イア−ソンの一行は、黒海沿岸のコルキスに向 かって旅立ち、コ−カサス山脈の周囲数千平方キロに及ぶ一帯の地下に張り巡らされた回 廊を訪ねて黄金の羊毛を求めたが、魔女メディアの住むこのコルキス国の中心は、キジル イルマク河を遡ったトゥズ湖の近くにあるカッパドキアの大地下都市群であったとみられ ている。

実際にコルキスがあったと推定されている黒海沿岸には、オデッサの地下都市をはじめと して、ソチ、スフミなどの巨大な地下洞窟があり、またカッパドキアにはカイマクル、デ リンクユ、ギョズテジン、オズコナ−クなどの巨大地下都市が相次いで確認された。現在 、調査が進められているオズコナ−クだけでも人口6万人を収容出来る地下500メ−ト ル級の大都市であったことが判明するなどこれまで伝説的な存在でしかなかった地底王国 アガルタの実在が調査と分析によって次々に明らかになろうとしている。さて地下に眠る 黄金都市伝説や、そこに通じる秘密のトンネルの言い伝えは世界各地にある。例えば中南 米には、インカやマヤ文明にまつわる地底伝説が数多くあり、ピサロが1526年にイン カ帝国を滅ぼして以来、現在まで多くの人々が黄金都市の発見に力を注いできた。とりわ け組織的且つ大規模な行動を起こしたのは、ヒトラ−の率いるナチス・ドイツの探検隊で あった。ヒトラ−が地底世界の探検に興味を示すようになったのは、19世紀英国のバラ 十字会員ブルワ−・リットンが著した「来るべき民族」を読んでからのことである。

1924年、ヒトラ−はドイツのバラ十字会員カ−ル・ハウスホ−ファ−の勧めに従って この本を読み、そこに示された地底世界が実在すると信じ、地底に隠された超文明の秘密 を求めて探検隊を組織した。1926年に始まるナチスの探検隊は、1936年になると 毎年のように定期的に世界の各地に派遣され、ヒトラ−指揮のもと親衛隊長ヒムラ−の責 任において、ナチスのオカルト局(ア−ネンエルベ)の科学者達がイタリア、スペイン、 トルコや中南米、アジアなどの各地を調査した。それらの探検隊のうちブラジルに派遣さ れたグル−プは、北東マットグロッソのロンカドル高地で無数の地下道を調査した。また この地からパラグァイ、ボリビア、アルゼンチンへ向かった分遣隊は、チリで別のトンネ ル網を発見、別の隊員はペル−からエクアドルに向かい、クエンカの近くで巨大地下都市 を発見している。コロンブスやピサロ、コルテスの探検以来、地下都市の存在は一部のユ ダヤ人にかなり知られていたが、アジアの秘境チベットに伝わる地底王国アガルタの伝説 は、20世紀に入るまでは一般に知られていなかった。

今世紀になって初めてアガルタ伝説を世に紹介したのは、ロシアの鉱山学者フェルディナ ンド・オッセンドフスキ−とロシアの画家ニコライ・レ−リッヒであった。2人がアガル タについて知るようになったのは、オッセンドフスキ−はレ−ニンの革命軍に追われてモ ンゴルに逃れた時アガルタの話しに触れ、レ−リッヒはロシアからアメリカに亡命したあ と、祖国を目指す中央アジアの旅の途中でアガルタの存在を知った。彼等はこの時モンゴ ルやチベットのラマ僧から教えられたアガルタの秘密こそ、同時代のヒトラ−の心をとら えたのである。1925年、「獣・人間・神々」の書名で出版され、ハウスホ−ファ−や ヒトラ−に大きな影響を与えることになった中央アジアの地底王国に関する最初の本格的 な報告書は、オッセンドフスキ−がロシアからモンゴルに亡命し、そこでダライ・ラマや チベットの高僧達とも親しい付き合いのあったタシェガウン・ラマという僧に出会った経 過から始まる。タシェガウン・ラマという人物、これほど並はずれた逸話の持ち主も他に はいないであろう。

彼はボルガ川流域に住む西モンゴル族のカルムイク人だが、カルムイクの独立運動を進め るうちに帝政下の多くの囚人達と知り合い、ロシア革命後もウクライナの独立運動を強力 に展開して、ボルシェビキのブラックリストに載せられた。モンゴルへ逃れた彼は、ダラ イ・ラマの親しい友人であり、有名な奇跡の実行者、且つ聖なる医者でもあったので、行 く先々でたちまち大きな反響を引き起こした。このタシェガウン・ラマが示す奇跡的な能 力はオッセンドフスキ−にとっても驚くべきものであったが、それより驚異に思われたの は、彼よりも遥かに強い能力を持つ神聖この上ないという人物がアガルタにいて、全世界 の王と呼ばれているという話しだった。はたして全世界の王とは何者で、またアガルタは どこにあるのだろうか? オッセンドフスキ−はタシェガウン・ラマとの運命的な出会い の後、中央アジアに伝わるアガルタの探索に情熱を傾け始めることになる。この時、彼が 特に気を使ったのは、アジア各地に散在するあいまいな伝説、時には矛盾した情報を注意 深く分析し、未知の王国に関する全体像を正確に作り上げることだった。

例えばアム−ル川のほとりに住む長老から聞いた古い言い伝えによれば、モンゴルのある 部族はジンギス・ハンに追われて地下の国へ姿を隠したと言われるが、その国はノガン・ クル湖の側で発見された地底世界への入口から達することが出来ると思われた。しかし、 彼が地底王国について初めて詳しい話しを聞いたのは、プリンス・チャルタン・ベイリと いうチベットの古老からだった。彼は親友のゲロング・ラマと一緒にモンゴルで亡命生活 を送っていたが、地底王国に対するオッセンドフスキ−の興味が本物で真面目なものだと 分かると、次の様に話してくれた。「世界のあらゆるものは絶えず変化し、推移している 。人間、宗教、法律、習慣全てがしかりだ。これまでいかに多くの偉大な帝国と輝かしい 文化が栄え滅んできたことか。唯一変わらない例外は悪魔であり、不道徳な精神である。 6000年以上前、一人の聖人がある部族と共に地下へ姿を隠し、2度と地上に現れなか った。それ以来、釈迦やパスパなど多くの者が地底王国を訪れた。しかし、それがどこに あるのか誰も知らない」ゲロングが最初にこう語ると、古老のプリンスはさらに次の様な 興味深い話しを付け加えた。

「その王国はアガルタと呼ばれ、地下の通路で全世界へと通じている。私は中国のある学 識高いラマ僧から、アメリカの地下洞窟には地底へと姿を消した古代人が住んでいるとい う話しを聞いたことがある。その古代人の痕跡は今でも地表で見つかっている。そして地 下の住民と王国は、世界の王に忠誠を尽くす支配者達によって統治されているのだ。あな たは昔、ム−とアトランティスという2つの大陸があったことを知っておられるだろう。 だが古代人は海底に消えたのではなく、実は地底王国へ姿を隠したのだ」。オッセンドフ スキ−の上記のような報告、及び亡命探検家レ−リッヒの旅日記「シャンバラ」などは実 に興味深く、我々の失われた地底王国に対する関心をいやが上にも高めてくれるものだっ た。アレック・マクレランの著書の中で古代世界最古の文明の発祥地と述べられているア メリカ大陸には、アジアに比べて非常に多くの地下都市に関する物的証拠がある。例えば 古代インカ帝国の首都クスコにあるサント・ドミンゴ寺院の祭壇の下には、クスコ市街か らサクサワン要塞へと通じる地下回廊が延びている。

この回廊はボリビアの国境のあるティアワナコの神殿カラササ−ヤの下からクスコを経て 、エクアドルのクエンカ回廊やグァテマラ、メキシコのプエブロ回廊、さらにはテオティ ワカンのピラミッドの下まで延びるものであった。エクアドルのクエンカ回廊の入口は幾 つかあるが、その1つはかつてドイツ情報部に務めていたファン・モ−リスが発見したロ ス・タヨスであり、この一帯には未知の巨大な地下都市がある。またプエブロ回廊の入口 には17世紀にグァテマラを調査したスペインの司祭グスマンによって発見されたもので 、プチュタのプエブロからテクパンのプエブロに至る50キロの道のりが確認されている 。このプエブロ回廊の別の入口はグァテマラ西部のサンタ・クルス・デ・キチェの近くに もあり、ここからさらにメキシコへと延びる回廊の先は、シェラマドレ山脈の南側に広が るハリスコ州カボ・コリエンテスの東方121キロの地点には別の地下都市がある。この 様に中南米の地下には無数のトンネルが網目のように走っている。

この他にもブラジルからアフリカのサハラ砂漠を通り、エジプトのスフィンクスの足許を 抜けて中近東からインド・チベットへと至るアガルタの地下回廊があると考えられている 。その巨大な地下トンネルは、チベットからモンゴルへと延び、さらにシベリアのコリマ 回廊を経て、ロッキ−山脈、アンデス山脈の下を走る前述の回廊と結びつき、遠い昔に滅 び去ったアトランティスの植民地ブラジルの地下都市に通じる「アガルタの聖なる輪」を 形成していると考えられる。更にもう1つの「聖なる輪」の可能性もある。それはアルジ ェリアのタッシリ高原からチュニジアにある月の谷メデニンを通り、カッパドキア及びイ ランのゴルカル平原を抜けてチベット第二の都市シガツェへと至り、そこから遥か彼方の イ−スタ−島を経てクスコ、更にはブラジルのマラジョにある地下都市へとつながる地下 回廊があるようなのだ。

1913年に勃発した第一次大戦の結果、敗戦したドイツはワイマ−ル体制のもとでかつ てない敗北感と経済的苦しみを味わったドイツ人は、ワイマ−ル共和国を指導する少数の ユダヤ人に対して不満を抱き始めていた。相次ぐ革命と不安の元凶はユダヤ人であるとい う情報は、またたく間にナチスの台頭をうながした。反共・反ユダヤのスロ−ガンを高々 と掲げて彗星のように現れたヒトラ−は、ドイツ国民をどん底の苦しみから救い出す英雄 として迎えられた。彼が最初に手がけたのは、まずナチスの内部に確固たるゲルマン精神 を身に付けた親衛隊を組織し、極秘のうちにユダヤ人の秘密を掴むことだった。その秘密 とはアガルタの秘密のことである。ユダヤ人の恐るべき才能は、思想、芸術、科学、経済 、政治の至る所で明白に認められた。ユダヤ人がこれほど優秀で豊かになったのは何故だ ろうか、彼等は何か我々の知らない秘密を掴んでいるのではなかろうかと、ヒトラ−とナ チスの幹部達が考えたのもしごく当然であった。ユダヤ人が他の民族よりも優秀なのは、 地底世界の秘密を握っているからではないかと考えた。

もしかしたら、ブルワ−・リットンが著した「来るべき民族」に述べられているように、 本当に地底世界を訪ね、そこからブリルヤの知識と技術を手に入れているのではないかと 考え、ヒトラ−は1926年、ただちにアガルタ探検隊を組織し、各地に伝わる地底伝説 を収集した。ナチスの地理学者や考古学者、地質学者達はブリルヤに到る地下道の入口を 速やかに発見するよう命じられた。こうして世界の各地から続々ともたらされはじめた情 報と資料は、ナチスの記録保管所に集められ、別の科学者によって分析されていった。そ の結果、ヒトラ−とナチスの幹部が手にしたものは、主にヴィマ−ナに関する情報で、ま さにアガルタの驚異としか言いようのないものであった。はたしてこれらの以下の記述は 何を意味しているのだろうか、またヴィマ−ナとは何なのか。ここに記されたものは明ら かに、これまでナチスの科学者達が全く知らない種類の新型航空機に関するもので、ヴィ マ−ナと呼ばれる未知の航空機の性能と操作法について書かれたものらしかった。

  • ビシュバカルマとチャ−ヤ−バルシャ、マヌとマヤ、並びにその他の建造者を見習うこと 。これは各種の航空機の製造を可能にするであろう。

  • バ−ヤバ−バラカラナに示したごとく、ヤ−サ−、ビヤ−サ−、プラヤ−サの力を大気圏 の第八層で用いよ。これは太陽光線の闇の部分を機体に引き寄せ、敵の視界からヴィマ− ナを隠すために使うことが出来る。

  • シャクティ・タントラを従えば、ロイネ−光線を投射することにより、ヴィマ−ナの前方 にある物体を目に見えるものとすることが出来る。

  • ダンダバクトラをはじめ大気の他の7つの力を引きつけ、太陽光を照射した上でヴィマ− ナの中心に送り、断続器を作動させよ。これによりヴィマ−ナは蛇のごとくジグザグ飛行 するであろう。

  • ソ−ダミネ−カ−ラの章もしくは電磁学の説明通りヴィマ−ナの集音装置を用いよ。これ によれば飛行中の敵機内の会話と音を聞くことが出来る。

  • ヴィマ−ナの撮影装置は、敵機の内部を画面に映し出すことが出来る。

  • ヴィマ−ナの全部にあるつまみを回せば、ディシャ−ンパティ装置が、敵機の接近方向と 位置を示してくれる。

  • 有毒のアプスマ−ラをヴィマ−ナ上部の管内に注入し、スタンバナ装置で放出すれば、敵 機の搭乗員は意識を失うであろう。

チベットのラマ教寺院から発見されたこの文書は、古いサンスクリット文字で記されてい たが、ヒトラ−はこの報告を受けるとただちにナチスの科学者を招集し、全力をあげてヴ ィマ−ナの秘密を解明するよう指示した。この文書の不明な語句を解読出来そうなラマ教 の高僧が次々と首都ベルリンに招かれた。博学なラマ僧とドイツ最高の言語学者、物理学 者、航空技術者が何度も極秘のうちに会合を重ね、不明な語句の意味を一つずつ明らかに していく過程ではっきりしてきたことは、このヴィマ−ナが未知のエネルギ−を用いて大 気圏の内外を自由に飛行できる超音速の航空機であるということだった。それはまるでブ ルワ−・リットンがの著書に登場する乗り物、ブリルの力によって地底空間を高速で移動 する乗り物を思わせた。しかしナチスの科学者が手にした文書は、チベットに古くから伝 わるア−リア民族の写本で、いまからおよそ3500年前、インドの叙事詩マハ−バラタ に記された大異変によって滅び去ったといわれる高度な文明の遺産だったのだ。ここに記 されているアストラ(ミサイル)、アラクシャ(ロケット)、ククラ(核爆弾)の数々は 何と恐るべき兵器であろうか。

1939年までに多くのアガルタ資料を手にしたナチスのア−ネンエルベは、その後ヒト ラ−の作戦計画に合わせてヴィマ−ナの建造に取り組んだことは言うまでもない。彼等の 得た古代サンスクリット文献にはヴィマ−ナの建造法が具体的に記されていた。その基本 構造は、車輪(回転ギア)の付いた床の中心に空洞軸(磁極)と機械室を据え、上部を丸 天井で覆った円盤であった。ナチスの科学者達は、この円盤を作るに先立って、まずロケ ットやミサイルの製造と実験をしなければならなかった。またレ−ダ−の開発も急がなけ ればならなかった。さらにユダヤ人(アメリカ)が極秘に進めている「マンハッタン計画 」に対抗して、原水爆の開発も進める必要があった。しかし、これら全ての開発計画の中 でもヴィマ−ナの建造は、極秘中の極秘であった。ヒトラ−はこの計画のために、初期の アガルタ探検で調査した洞窟のうち、最も秘密を保つのに好都合なイグリンガ−の地下洞 窟を選んだ。深い森に覆われ立入禁止となったこの地域の地下に作られた工場で、人々の 知らない間に進められたヴィマ−ナ建造計画が最初の試作機完成にこぎつけたのは194 1年のことであった。

その試作機はヒトラ−の目指したユダヤ人との最終戦争(ラスト・バタリオン)に耐えう るものではなかった。そして多くの改良を必要とした。この必要に応じてヒトラ−が新た に出した指示は、その後イグリンガ−以外の洞窟にも地下工場を作って併行実験を進め「 空飛ぶ円盤」の改良を急ぐこと、またチベットの奥地探検を更に進めて新しい資料を手に 入れること、チリの山中に秘密基地を作って飛行実験を促進することであった。この新し い計画がその後の戦局の悪化にも拘わらず進展をみせたことは、1944年ころからフ− ・ファイタ−の噂が北欧の空で囁かれ、ドイツ上空を飛行中の連合軍パイロットが相次い でUFOを目撃していることによっても裏付けられる。実際には1944年の終わりまで に更に2つのタイプの改良「空飛ぶ円盤」を作り上げていたのだ。ヒトラ−の夢はこのヴ ィマ−ナを1日も早く完成させ、これによって地上最強の円盤部隊を編成し、最終戦争の 勝利者となることであった。そして彼の計画は1945年5月2日のベルリン陥落直前に 最後の完成をみるはずであった。しかし5月1日、人々は放送によって突然、アガルタの 秘密を掴んだ男「ヒトラ−」の死を知らされたのであった。その後ヴィマ−ナに関する資 料と試作機は、アメリカとロシアにわたったと考えられている。